厚木上教会

2025.07.13 牧師 中野通彦 「思い悩むな」

マタイによる福音書6章25-34節

1.上教会の歴史
 さて、本日わたしたちは厚木上教会の創立93周年の記念礼拝を守ろうとしております。教会75周年記念誌によりますと、厚木におけるプロテスタント伝道は明治初期から始められました。大正期には、柘植不知人牧師率いる基督伝道隊(活水の群)が厚木にやって来て、家庭訪問や家庭集会がなされました。このとき、家庭集会の中核を担ったのが相原時蔵・フサ夫妻です。この後、相原時蔵氏が奉献した教会堂が厚木基督伝道館として活動を始める直前の厚木神社前の広場で行われた天幕伝道、これが1932(昭和7)年7月10日であったのですが、この日が当教会の創立記念日と制定されました。その厚木基督伝道館における伝道は、1934年には柴適牧師の父上であられる柴勇牧師が第2代牧師として就任することで基礎が固められていきます。それから激動の時代を迎え、戦時中1941年(昭和16年)に日本基督教団への所属、終戦後の1946年(昭和21年)には旧会堂の建築がおこなわれました。時は過ぎて、1973年(昭和48年)に柴適牧師が伝道師として就任。1983年(昭和58年)に第3代牧師として就任され、五月夫人とともに当教会の発展に尽くされ、2002年には現教会堂の建設を果たしました。これが現在の厚木上教会へとつながる歴史です。

2.上教会との出あい
 さて、ここでわたし自身のことを申し上げたいと思います。わたしは大学生時代から教会に足を踏み入れていましたが、どうもその空気になじむことができませんでした。キリスト教会の醸し出す、何となく上品な雰囲気に気おくれがして、うまくなじむことができなかったのです。結婚してからも、家族にくっついて教会に顔を出していましたが、その印象はぬぐうことができずに教会に興味を持つことはありませんでした。ところが、厚木の実家に戻ってきてから厚木上教会の礼拝に出席させていただいたところ、今まで持っていたわたしの教会の印象とはずいぶん違う教会だと感じました。何度かお邪魔するうちに教会学校を手伝うようになって、1992年のイースターに洗礼を受ける運びとなりました。どうしてそういう気分になれたのか。教会が庶民的で家族的な雰囲気だったからでしょうか。当時の旧会堂が木造でレトロ感たっぷりだったからでしょうか。牧師先生がざっくばらんで気さくな方だったからでしょうか。わたしは今までそのような理由を考えていました。しかし、あらためて上教会の歴史を拝見したときにそうではないと思うようになりました。厚木上教会は、明治期から始まる厚木の地における血のにじむような伝道の先達の働きがありました。そこにはすでに歴史を持っている厚木に暮らし、その伝統や文化の中で生活している人々に福音を伝えようとする熱意にあふれていました。そして福音を受け入れ信仰を厚木の地に根付かせようとした信仰の先達の努力の積み重ねの上になりたっている教会なのです。柴適先生の「中野よお~」という呼びかけは、厚木生まれ厚木育ちのわたしにとっては大変なじみがあり、懐かしく、親しみのあるものだったのです。この、厚木という土地に根付いた伝統を持つ教会の雰囲気がちょうどわたしにフィットしたのだと思います。それは繰り返しになりますが、厚木における伝道を目指した先達の思いがあったからこそ実現したことではないかと思います。ですからわたしたちは、意識無意識にかかわりなく、先達の積み上げた伝統を基盤とした厚木上教会の信仰に招かれているのです。そして、その先達の献身の上に立つ教会の信仰をともに受け継ぎ、分かち合いつつ、これからの新しい時代にその信仰をこの地において一人でも多くの方に伝えていくという使命を持ちたいと願うのです。次に、わたしたちが受けたもの、そして伝えていくべき福音の内容を聖書のテキストから見てまいりたいと思います。

3.福音
 さて、今日の聖書のテキストはマタイによる福音書6章25節のところ、「空の鳥、野の花」というたとえとして昔から親しまれてきたところです。鳥や花は与えられた生を精いっぱい生きており、思い煩いがありません。それにくらべて人間は神様の思いを一身に受けているのに、着るものや食べ物(つまり世の煩い)に心が奪われて安心がない。イエス様は、あなたがたは神様に愛されているのだから、必要なものはすべて備えられるので安心しなさいというのです。ここで、どうしてイエス様はわたしたち人間が鳥や花よりも価値があるというのでしょうか。なにをもってそのことを知ることができるのでしょうか。実はそれが福音の内容です。わたしたちが神様に愛されているという根拠はイエス・キリストです。神様がわたしたちを救うためにイエス・キリストが与えられたということです。わたしたちはイエス・キリストを信じることにより永遠の命に生きるようになりました。これによってすべてを神様に安心してゆだねて生きることが許されています。33節に、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」とありますが、これはすなわちわたしたちは一心にイエス・キリストを求めなさいということです。この内容こそが教会の奉じる福音の内容です。
 ここで冒頭の教会の歴史の話に戻りますが、そのことを伝えるために伝道者が命をかけて、世界中に派遣されました。厚木上教会もその伝道のひとつの実として、この地に根をおろし、そしてさらに1人でも多くの人に伝えるために厚木上教会は神様によってたてられ、93年の長きにわたり信仰者の絶えざる祈りによって支えられてきました。日夜祈り続けられているのです。この時と場所を分かち合えることに感謝しつつ、先達の信仰を継承してこれからの新しい93年を歩み始めたいと思います。